衛星による古代エジプトの港湾施設Site No.49の発見について
1952年、エジプトの考古学者ザカリーア・ゴネイム(M.Z.Goneim)によって、ピラミッド・ゾーン内の砂漠地帯から砂に埋もれた一基のピラミッドが発見されました。エジプト第3王朝セケムケト王(Sekhemkhet)のものとみられるこのピラミッドは、基底部で約120mの一辺をもつ壮大な建造物でしたが、何らかの理由によってピラミッドの上部が未完成であったために、約4,500年に及ぶ長い間砂に埋もれたまま発見に至りませんでした。
標準的とされるピラミッドは、本体の東側に葬祭神殿が築かれ、そこから東に向かって緩い傾斜の参道が下り、現在の耕地帯と接する砂漠縁辺に河岸神殿をもつ複合構造(ピラミッド複合体)を成しています(図1)。ナイル川氾濫時の都市からピラミッドへのアクセスには船が使われ、氾濫後もピラミッドの東側は運河や池などによってナイル川と連絡可能な港湾施設となっていました。港湾施設は、ピラミッド建造の際には石材を採石場から船で運ぶために利用されており、完成後はそこに河岸神殿が建造され、ピラミッド複合体への実質的な玄関口になったと推定されています。
この研究の目的は、そうした未発見ピラミッドやその関連遺構の探査に衛星データを活用し、これまでのように考古学者の勘や経験に頼らない効率的な考古学調査手法を確立することです。
2008年、QuickBird、CORONA(図2)などの高分解能衛星画像によって、ダハシュール(Dahshur)のピラミッド群とその一帯の関連遺構を調査したところ、アメンエムハトⅢ世(第12王朝)のピラミッドに隣接する砂漠縁辺の地点(以下Site No.49と呼ぶ)において、ピラミッドの港湾施設と推定される方形外郭ラインを有する地面の落ち込みが確認されました。Site No.49は、東西約190m、南北約500mの大規模な外郭ラインを有しており、各辺は周囲のピラミッドの各側面と同じ東西南北を向いていることが判明しています。考古学的な観察では、①距離的に最も近いアメンエムハトⅢ世のピラミッドの港湾施設、②真西に位置するスネフル王の屈折ピラミッドの港湾施設、または③両方の港湾施設、のいずれかの可能性が高いと考えられています(図3)。発掘調査はまだ行われていませんが、ピラミッドの港湾施設と確認されればその規模はこれまでで最大となります。
今回発見されたSite No.49はピラミッドとの関連性が強く連想される施設であり、そこでの考古学的調査から得られる知見がエジプト学の重要課題であるピラミッドの建造目的や構造の解明に寄与することが期待されます。その一方で、この研究の次の課題として、Site No.49の性格や年代を特定するための早急な発掘調査の実施が挙げられます。
図1.ピラミッド複合体の構成図
図2.Site №49地点のCORONA画像(1965年1月25日撮影 ©USGS/TRIC)
図3.Site №49地点の周辺ピラミッドとの位置関係